渡英までの道のり日本での仕事に不満があったわけではなかった。 自分の希望の部署で働き、仕事仲間にも恵まれてたと思う。 でも自分のなかで3年という数字があった。外国に行きたい、生活してみたいという夢があったから。最初はワーキングホリデーでオーストラリアかカナダにでも行こうかと漠然と思っていた。でも何しに???その後は???まだ迷いがあったそのときに私の目に入ったのが‘イギリス看護婦資格取得プログラム’某斡旋会社がこんなプログラムを宣伝していた。私はすぐに飛びついた、これっだ!って思ったから。 母は高いお金を払うんならきちんとした会社かどうか調べなくちゃと助言してくれた。当時横浜に住んでいた私は夜勤明けに羽田空港から大阪伊丹空港に飛び大阪にあるというそのオフィスを訪ねた。オフィスというより英語学校で(実際英語学校もそこでやっているんだけど)話をしてくれた人も他のスタッフも感じが良かった。 帰りの飛行機の中ではもう決心がついていた。やってみようと。それから私の渡英のための準備が始まった。英語の成績証明書は看護短大で前例がないから無理と事務のスタッフに言われ、直接看護部長にお願いしに行った。婦長さん、ドクター、同僚からの推薦書。しかも英語で。みんな私のために快く引き受けてくれた。UKCC(旧イギリス看護協会)とのやり取りは会社が全部やってくれた。 これから始める新しい人生を楽しみにしつつも、慣れ親しんだ環境を去る寂しさもあった。 出発当日は両親ともに成田空港まで一緒に来てくれた。予想してなかったことに職場の友達も成田まで来てくれていた。みんなの前では笑顔でお別れしたけど、出発のロビーで友達の手紙を読んで涙が流れた。12時間のフライトもあまり眠れなかった。2001年5月、5回目となるロンドンに降り立った。 ジャンル別一覧
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